「主体性を持って行動」とよく言うけど、その意図するところは何?
こんにちは。みんな大福(@minnadaihuku)です。
みなさん「主体性」って言葉よく耳にしませんか?
一般に流布しているこの言葉がイマイチわかりづらいと思ったので記事にしてみました。
主体性とは?
「主体性」という言葉を耳にすることが多い。
学校や企業でも「主体性を持って行動して欲しい。」とか「主体性を持て」という言葉を皆さんも聞いたことがあるだろう。
この言葉の意図するものは何だろうか?
とりあえず辞書的な意味を調べてみよう。
自分の意志・判断で行動しようとする態度。
出典:
辞書にはこのように書かれている。では、具体的に
どうすればこのような主体的な人物になれるのだろうか?
主体性を育むのは難しい?
これだけ主体性という言葉が叫ばれ、求められるということは主体性を持った人間がいないからである。
なぜ、主体性を育むことが難しいのだろうか?その理由は、
「主体性を持て」と命令されて行動することは、主体性がないということであるからだ。
ここには、主体性を求めて命令すればするほど、主体的な人間ができなくなくなるというパラドクスがある。
どうすれば主体性は生まれるか?
結論は、答えのない状況での試行錯誤である。その都度その都度とりあえず仮の目標を立てる。もちろん自分で立てた目標が望ましいが、初めのうちは自分で立てた目標でなくとも、他の人間が立てた目標、または会社での目標でも取りあえずは良いだろう。
目標に対して仮説と結果のフィードバックを自分自身や他人や会社の人と関わりながら繰り返していくうちに、「自分一人でやってもできるんじゃないか?」という瞬間がくる。
そして、自分自身で判断し行動することができるようになったとき、人は本当の意味で主体性を持つことができる。
違和感は大事
人は生まれたときは、母親に代表される家族によって守られている。
守られている間は、自分自身で判断や行動する必要はない。
しかし、その後に家庭や学校、社会経験などを通じた試行錯誤の中で、主体性を育むことができる機会がある。
もし自分自身で何も疑問に思わず、何となく誰かの言われた通りに行動しているのならば主体性は育まれない。
どうすればこの疑問が持てるのか?私は疑問を持つポイントは、違和感であると考える。たとえ相手が、社会的に偉いとされている人であろうと、マジョリティーの意見ではなかろうと一切関係ない。違和感を感じたらそれを大切にすることだ。
自分自身の判断や行動を作るために有効な手段は言語化である。自分が違和感を感じたなら、その違和感を言語化してみること。そこから得られる、他者とのズレから自分自身での意思や判断ができるようになる。もし言語化ができなくても違和感を強く感じたものはいつか言語化できる可能性がある。そういった違和感を大切にすることが、主体性を育む上で何よりも大切である。
以上「主体性を持って行動しろ」とよく言うけど、その意図するところは何?の記事でした。
今日のみんな大福